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大阪高等裁判所 昭和62年(う)359号 判決 1988年2月04日

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人高谷昌弘作成の控訴趣意書記載のとおりである(但し、同趣意書中二は控訴の理由として主張しない旨弁護人において釈明した。)から、これを引用する。

第一  当裁判所の判断

一  控訴の趣意

控訴の趣意は、事実誤認及び法令の解釈適用の誤りを主張するものである。これを要約すると、自己所有の砂利運搬船の改装工事を造船会社に依頼していた被告人は、その改装工事の途中、別途塗装業者に依頼して船内塗装工事を行わせることにしたのであるが、その改装工事と塗装工事が並行して行われるときには、塗装工事に伴い発生し船内に充満滞留した引火性の強いガスが、改装工事における溶断・溶接作業に伴い飛散する溶融鉄片又は電気火花により、着火爆発する虞れがあるのであるから、被告人としては、右塗装工事を行わせるに当って、そうした着火爆発の虞れを予測した上、改装工事を行っている造船会社関係者に塗装工事が行われることを知らせその溶断・溶接作業を中止させるべき注意義務があるのに、その義務を怠り、塗装工事と溶断・溶接作業が同時に行われても右爆発の危険はないものと軽信して、塗装業者に塗装工事を行わせるに際し、それを右造船会社関係者に知らせて溶断・溶接作業を中止させなかった重大な過失により、塗装業者が行った塗装工事に伴い発生し船内に滞留していた引火性のガスを、同時に並行して行われていた溶断・溶接作業に伴い飛散した溶融鉄片又は電気火花によって着火爆発させ、よって、造船会社作業員一名を死亡させたほか、同会社作業員や塗装業者ら計四名にそれぞれ傷害を負わせた旨の原判決の認定に対し(なお、右引火性ガスの爆発による死傷事故を以下「本件事故」という。)、第一に、被告人は塗装業者に塗装工事を依頼しているのであるが、被告人において本件事故当日の朝塗装工事を行うように命じたことはなく、それは塗装業者の自主的な判断に基づいて行われたものであり、被告人としてはむしろ塗装業者の塗装工事と造船会社側の溶断・溶接作業が同時に並行して行われることは予知してなかったし又予知できなかったのであるから、造船会社関係者に塗装工事が行われることを知らせて溶断・溶接作業を中止させるべき注意義務を被告人が負ういわれはない、第二に、本件事故のごとき造船会社の改装工事と塗装業者の塗装工事が同時並行して行われることにより発生する虞れのある危険については、それを回避すべき義務は本来それら工事を行う業者やその作業員らにおいて負うべきものであり、船主であり両工事の注文者に過ぎない被告人としては、それら業者等がその危険回避のための義務を果たしてくれるものと信頼することが許され、本件事故が発生した地域での船主、造船会社、塗装業者の三者間における従来からの慣習を考慮すればなおさらそのような信頼が是認されることが明らかであるから、被告人には右危険の発生を予見し且つその危険を回避すべき義務は存しない、というに帰するものと解される。

そこで、所論並びに検察官及び弁護人の各弁論にかんがみ、記録を調査し当審における事実取調べの結果をも併せて検討する。

二  事実関係

本件の事実関係として、原審で取調べた関係各証拠及び当審における事実取調べの結果によれば、以下のことが認められる。そして、各関係者の供述調書並びに原審、当審における各証人の証言及び被告人の供述のうち、以下の認定に反する部分は措信できない。

(一)  本件事故発生に至るまでの経過

(ア)兵庫県飾磨郡家島町(以下、単に「家島」という。)は瀬戸内海に浮かぶ島の町であるが、家島では船を所有して砂、砂利を運ぶ海運業を営む者が多く、被告人もその一人で第五〇〇丸を所有していること、(イ)第五〇〇丸は、全長47.8メートル、全幅9.5メートルで総トン数約三〇〇トンの砂利運搬船であり、船腹に砂利等を積むプール型の荷倉を持ち、船底(通称ボットン)の上に組んだ支柱の上に張られた鉄板(通称トップ板)が荷倉底となっていて、荷倉底と船底のいわゆる二重底を持つ船であること(第五〇〇丸の構造等については、別紙図面一、二、三参照<省略>。なお、船底と荷倉底との間の空間を便宜「二重底内」という。)、(ウ)被告人は、第五〇〇丸の定期検査を受けるに当たりその修理改造を行うこととし、昭和五八年七月二〇日ころ家島に在る××造船建設株式会社(以下、単に「××造船」という。なお、単に「造船所」という用語によって同会社ないしその事務所・作業場を指す場合もある。)に、第五〇〇丸の荷倉底のトップ板や荷倉内内張板の張替え等の改装工事を依頼したこと、(エ)××造船は、家島に幾つか在る造船所の一つであり、社長のAのほか常雇いの工員は一〇名足らずで、工業に応じ臨時工を使って作業を行う小規模の造船所であること、(オ)家島では船の改装の場合、改装工事とは別途に塗装工事を船主が塗装業者に依頼して行わせることがほとんどであり、第五〇〇丸の改装工事依頼の際も、塗装工事は別途塗装業者に行わせることを被告人、××造船双方とも了承しており、その頃被告人は家島の塗装業者であるBに第五〇〇丸の塗装工事をいずれ頼む旨話を持ち掛けていること、(カ)Bは、既に一〇年以上塗装業を行っている者であるが、本件当時C、D、Eの三名と共同して作業を行っており(以下、右四名を「Bら」という。)、塗装作業に必要な器具機械及び塗料等を積んだいわゆる塗装船を持ち、主として、塗装工事を行う船の近くに塗装船を泊め、同船から作業箇所までホースを引いて圧縮空気で噴霧状の塗料を吹きつけて塗装する作業を行っていたものであること、(キ)××造船では同年八月一八日ころ第五〇〇丸をドックに上架して改装工事に着手し、引き続き改装工事を行っていたが、工事の内容は、修理改造箇所の古い鉄板を切断して取り除き、新しい鉄板を張り替えるというもので、アセチレンガス溶接機を使っての溶断作業及び電気溶接機を使っての溶接作業が主であること、(ク)被告人はほぼ毎日××造船の作業現場に赴き、工事の内容及びその進捗状況を観察していたが、荷倉底のトップ板の張替えがほぼ終了していることと推察した被告人は、同月二八日昼ころかねて話を持ち掛けていた前記Bに、具体的に今晩二重底内を塗ってくれるよう頼んだが、それに対しBは「今晩は暗いので、明日の朝造船所が仕事を始める前に塗っておく。」旨答え、被告人もそれを了承したこと、(ケ)同二八日夕方作業終了時点での第五〇〇丸に対する改装工事の進捗状況は、荷倉底のトップ板はすべて張られ、仮付け状態の中央部分のトップ板を除いて、その他のトップ板は全て本付けされた状態にあり、荷倉底の随所に二重底内の作業を行うための工事用穴計八個が開けられてあったが、××造船の作業員において翌二九日に右仮付けの中央部分のトップ板の電気溶接による本付け作業を行うことを予定していたこと、(コ)塗装業者のBらは、翌二九日早朝造船ドックの第五〇〇丸へ赴き、同日午前七時ころから前記工事穴から二重底内に入り、同内部の鉄板等に噴霧器によって塗料を吹きつける作業を開始したが、その際看板を置くなど塗装作業中で危険であることを知らせるような措置は何ら取っていないこと、(サ)被告人は、前記のようにBに塗装工事を具体的に依頼したことをその後××造船に連絡することもなく、右二九日午前八時少し前ころ第五〇〇丸へ赴き、Bらが二重底内の塗装作業を行っていることを確認し、午前八時のサイレンと共に××造船の作業員らが同船に上って来て作業を始めるのを認めたものの、それら作業員らに塗装作業が行われていることを告げることなく、まもなく同船を退去していること、(シ)Bらは、二重底内での塗装作業を一旦中断し工事用穴から出てきて休憩していた際、午前八時のサイレンと共に××造船の作業員らが第五〇〇丸に上って来て作業を始めるのを認めたが、同作業員ら全員に塗装作業を行っていることを周知させるための行動は特段とらず、ただ、××造船の作業員らが口々に「ペン(ペンキの意味)を塗っておるわ。仕事にならんわ。」と言ったのに対し、Bが「やりたかったらやらへんかな。怪我をしても知らんで。」などと答え、また休憩を終えて再度二重底内に入る際、上甲板で溶接作業を行っている××造船作業員が火花を荷倉底のトップ板上に落としているのに気付いたBが、たまたま××造船の現場監督をしていた旧知のFの姿を認め、同人に火花を落とすのを止めてくれるよう頼んで、同人の注意により右溶接作業を止めさせ、更に中デッキで溶接作業をしている者を目にしたBが、傍に居たDに「火花の出る仕事はやらすなよ。」と言ったに過ぎず、同人らはその後二重底内に入って噴霧状の塗料を吹きつける塗装作業を行っていること、(ス)××造船の作業員らは、午前八時のサイレンと共に第五〇〇丸に上がり作業を始めようとしたところ、荷倉内に従前から顔見知りの塗装業者がおり、またシンナーの臭いがして来たことから、各自それぞれ塗装作業の行われていることを知り、塗装作業中に溶断・溶接作業を行うことが危険であるのは承知していたが、一部の作業員において××造船の事務所に赴き、塗装作業を中止させてくれるよう言ったものの、同事務所には女子事務員しかいなかったためそのまま第五〇〇丸に引き返し、それ以上他の作業員に溶断・溶接作業を中止するよう注意を促すことをせず、また幾人かの作業員においては前日に予定していた二重底内での溶接作業を変更したものの、それぞれの判断で塗装作業が現に行われている場所に近接した部分を避けただけで、荷倉内においてアセチレンガス溶接機を使っての溶断・溶接作業及び電気溶接機を使っての溶接作業を開始し、更に前日に引き続き荷倉内の中デッキで溶接作業を続ける者もおり、本件事故発生直前第五〇〇丸の荷倉内で作業をしていたのは、中デッキでアセチレンガス溶接機で切断作業を行っていた者一名、同じくアセチレンガス溶接機やハンマーを使いトップ板の接合作業をしていた者一名、電気溶接機でトップ板の溶接作業をしていた者一名、エンジン部の裏側から荷倉内壁鉄板の溶接作業をしていた者二名がおり、これらアセチレンガス溶接機での切断作業による溶融鉄片あるいは電気溶接機での溶接作業による電気火花が飛散し二重底内に落下する危険があったこと、(セ)Bらの行った塗装作業に伴い塗料に含まれる引火性の強いキシレンの気化したガスが二重底内に充満滞留していたところ、××造船の作業員が荷倉内で行っていた前記溶断あるいは溶接作業に伴い飛散した溶融鉄片又は電気火花が工事用穴から二重底内に落下し、同日午前八時四〇分ころ右ガスが着火爆発したこと、(ソ)右爆発により荷倉底の仮付け状態であった中央部トップ板が吹き上げられて落下し、その下敷きになって××造船の作業員一名が死亡し、その他荷倉内あるいは二重底内で作業していた××造船の作業員及び塗装業者ら計四名が傷害を負ったこと。

(二)  本件事故に関連する諸事情

(ア)本件事故当時××造船での第五〇〇丸の改装工事には、常雇いの本工一〇人弱と、臨時雇いの鉄工(鍛冶工)四人、溶接工四人ほどが従事していたが(以下、これら工事に従事していた者を「造船所作業員」という。)、その中には溶接の免許を持っている者はほとんどおらず、各自長年の経験によって作業を行っており、また、××造船の指揮体制の実態をみると、着工後の工事の具体的実施については、社長のAが自ら指揮監督をすることはほとんどなく、従前は古くからいる工員のFが現場監督としてこれを行っており、同人が昭和五七年五月作業中転落して脚を骨折し休業するようになってからは本件事故当時までより若いGやHが代わって現場監督的な役割を果たしてはいたが、必ずしも指揮命令体制が明確に整えられた状態にはなく、本件事故前Fが第五〇〇丸の作業現場に顔を出していたのも脚の歩行訓練のために過ぎず、いまだ正式に就業していたものではなく、本件事故発生前には第五〇〇丸を退去しており、更に常雇い及び臨時雇いの工員に対しては、工事内容の概要の説明こそ初期の段階であったものの、日々の作業内容や手順については特に毎日指示がなされることなく、本件改装工事の内容もさほど複雑でないこともあって、各自の判断に従って日々の作業を行っており、安全対策や安全教育については全く指示や説明は行われたことがなかったこと、(イ)本件事故発生当時、Aは、知人の病気見舞いのため早朝から出掛けて造船所にはおらず、またFに代わって現場監督を行っていたG、Hの両名は、第五〇〇丸の改装工事の現場に居てBらによる塗装作業が行われていることを認識していたと認められるにもかかわらず、他の造船所作業員らに注意を与えるなど特段に指示をしていないこと、(ウ)塗装業者のBらのうちには、塗料である有機溶剤の取扱い作業主任者の資格を持っている者はおらず、また同人らが請け負う工事の多くは外壁や船底外側の塗装工事であり、本件のような二重底内の塗装作業は余りなかったこと、(エ)塗装業者による塗装工事が造船所の改装工事の途中において行われることがあっても、家島では従来、塗装工事を依頼した船主が造船所へ塗装工事の具体的な実施日時等について事前に連絡するということはほとんどなく、塗装作業開始直前に塗装業者から造船所に連絡されるのが通常であり、その連絡も造船所の事務所に事前に連絡することは余りなく、現場の作業員らに告知する程度であって、塗装業者が造船所の作業現場で作業員らと話し合い、塗装作業を行うことの可否について決めていたのが現状であったこと、(オ)塗装作業と溶断・溶接作業との並行実施は、船の外壁を塗る場合にはしばしば行われていたものの、本件のごとく二重底内の塗装作業と溶断・溶接作業が並行して行われたことはこれまで余りなく、溶断・溶接作業が一応終了した後塗装作業が行われるのが通常であったが、荷倉内で溶断・溶接作業と塗装作業が同時に行われ、造船所の作業員において適宜各自の判断で安全と思われる場所あるいは方法で作業を行っていた例もあること。

三  被告人に課せられた注意義務

(一)  前示事実関係にみるように、本件は、造船所の改装工事が継続されている途中において、被告人の注文した塗装工事が行われたが、被告人においてその塗装工事の実施について事前に造船所に連絡せず、また一方、造船所作業員及び塗装業者において、溶断・溶接作業と塗装作業が競合することを知りつつそれぞれ溶断・溶接作業や塗装作業を行ったため、本件事故が発生したという事実を骨格とする事案であるところ、原判決は、被告人が負うべき注意義務として、その罪となるべき事実においては、造船所関係者に塗装作業が行われることを知らせて造船所の溶断・溶接作業を中止させるべき義務がある旨判示し、またその弁護人の主張に対する判断においては、塗装作業を行う旨連絡して溶断・溶接作業を中止させるべき義務あるいは溶接等の作業を中止させ事故の発生を未然に防止すべき条理上の注意義務がある旨判示しており、その判示する被告人に課せられる注意義務の内容は必ずしも明確でないものの、その判文からすると、原判決は、被告人に対し、単に塗装作業が行われることを造船所に事前に連絡すべき義務を認めるだけでなく、進んで造船所の溶断・溶接作業を中止させるべき義務までも認めているものと解されるのである。そして本件では、その造船所の溶断・溶接作業を中止させるべき義務の内容は、造船所関係者において塗装業者による塗装作業が行われているのを知りつつなお溶断・溶接作業を行う場合であっても、その溶断・溶接作業を中止させなければならないことを意味するものと解せざるを得ない。というのは、造船所関係者が塗装業者による塗装作業の行われているのを知らないまま溶断・溶接作業を行う場合にそれを中止させることは、原判決の判示する連絡義務の内容に含まれると解される上、本件では先に示したように、造船所関係者は塗装業者による塗装作業が現に行われていることを知りつつ溶断・溶接作業を行っているのであって、そのようにして行われている作業が中止させるべき対象とされていると認められるからである。そこで以下、原判決が右のような連絡義務と中止義務を認めたことの是非について検討する。

(二) まず、被告人は、先に溶断・溶接作業を主とする第五〇〇丸の改装工事を注文してその工事の継続中に、他の塗装業者に同じ第五〇〇丸に対する塗装工事を注文して行わせることにしたのであるが、このように一方の業者に注文した工事を行わせている途中において、他の業者にそれと並行して行うことに高度の危険を伴う他の工事を注文して行わせることとした者としては、各業者によって両工事が同時並行して行われるのを予測し得たときは、その両工事が同時並行して行われることにより発生する虞れのある危険を予測した上、その危険を回避するための措置をとるべき義務があるといわねばならない。けだし、先に注文を受けた業者が、その工事継続中に他の業者が割り込んで来て行う工事の実施やその工事の内容を十分認識することができず、危険回避のための措置が十分取られないまま両業者の工事が同時並行して行われる虞れが存するのであるから、両業者に対する工事の注文者であり、両業者の工事が同時並行的に行われることを予測し得る立場にある者は、工事が同時並行的に行われる契機を与えたものとして、工事の競合による危険発生を予測し、それを回避するための措置をとるべきことが条理上要求されると解するのが、社会通念上相当であるからである。これを本件について見てみると、被告人は先に××造船に第五〇〇丸の改装工事を依頼し、その改装工事が続けられいまだ終了する以前に、塗装業者のBに同船に対する塗装工事を依頼したものであり、しかも、その塗装工事依頼の際右Bは明日の朝作業を行う旨告げているのであって、その塗装作業が短時間で終わる性質のものではないことは容易に推測でき、また従前からの家島での塗装業者の作業実態からみても、被告人としては××造船の改装工事と塗装業者の塗装工事が同時並行的に行われる可能性があることを十分予測できたものといわねばならない。そして更に、その改装工事の内容は前記のごとく主に溶断・溶接作業であり、塗装工事においては強い引火性のガスが発生し、換気の非常に悪い二重底内に同ガスが滞留充満したときには、右溶断・溶接作業に伴い飛散する溶融鉄片や電気火花により同ガスが着火爆発する虞れのあることは、特別の専門知識のない被告人においても予測可能であったといえるのであるから、被告人としては右ガスの着火爆発の危険を予測した上、その危険を回避するための措置をとるべき義務があったものといわねばならない。

所論は、塗装業者のBが明日朝塗る旨告げたとしても、被告人としては、Bらが造船所の溶断・溶接作業と同時に塗装作業を行うことはないものと考えたのであって、溶断・溶接作業と塗装作業が同時に並行して行われることは予測できなかった旨主張するが、家島に在住しこれまでも××造船やBらにそれぞれ工事を注文してきている被告人としては、先に示した家島での造船所及び塗装業者の実情を十分承知しており、右のように発言したBらが造船所の溶断・溶接作業と並行して塗装作業を行う可能性があることを推測できたものと認められるので、所論はとうてい採り得ない。

なお原判決は、「被告人は……第五〇〇丸の船舶所有者としてその修理が安全に完成されるよう期待する者であるから」と判示して、船主としての立場から被告人になんらかの義務が生じるかのように判示するが、作業の対象となっている船舶の所有者であるからといって、それに対し他人が行う作業に伴い発生する危険を防止すべき義務を当然負うものとはいえず、また単に修理の安全な完成を期待する立場にあるからといって右のような義務を負うものとはいえないから、この点から原判決が本件塗装工事に伴う危険の回避義務を認めるのは失当というべきである。

(三) そこで次に、被告人に予測可能な危険回避のため課せられる義務の内容を検討し、殊に原判決が前記のような作業を中止させる義務まで認めたことの当否について考察する。

前記のごとく被告人は、先に造船所に注文した改装工事が継続されている途中において塗装業者に塗装工事を依頼し、そのため造船所関係者において塗装作業の実施やその作業の内容を十分認識し得ないまま、造船所の改装工事としての溶断・溶接作業と塗装業者の塗装作業が同時並行して行われ、着火爆発を惹起する危険があることを予測し得たのであるから、両者の工事が同時並行して行われる契機を与えた注文者として、他の業者によって工事が並行して行われることを予想していない業者に対し、もし同時並行して行われるならば危険のある工事が他の業者によって行われることを連絡して周知させ、もって当該業者においてその工事の競合による危険を回避するための措置をとりうる状況を設定してやらなければならない義務を負うものといえる。しかしながら、それ以上に注文者として、工事が競合するのを知りながら業者においてなお工事を並行して行おうとするのを中止させねばならない義務までも負うものではない。けだし、工事の実施に伴う危険については本来直接工事を行う者がその回避のための措置をとるべきであって、工事の注文者としては、工事を行う受注者が予測できない危険のあるときはその危険のあることを知らせ、受注者においてその危険に対処しうる状況を設定してやれば足り、受注者と並んで直接危険回避の措置をとらなければならないものではないからである。この点を本件に即してなお検討してみるに、被告人は同時並行的に行われるならば危険を伴う工事を注文したのであるが、被告人はあくまで造船所に対する改装工事及び塗装業者に対する塗装工事の各注文者の立場にとどまっており、作業の具体的進行については造船所あるいは塗装業者に委ね、造船所の改装工事あるいは塗装業者の塗装作業を現場で事実上指示監督することはなかったのであり、しかも造船所関係者及び塗装業者のBらのいずれも、塗装作業と溶断・溶接作業を同時並行的に行うときには前記着火爆発の危険があることは各専門の作業者として十分な知識を有すると共に、それら溶断・溶接作業あるいは塗装作業を直接行う者として右着火爆発の危険を避けるため溶断・溶接作業を中止あるいは中止させる義務が、被告人のその危険回避のため求められる義務よりも強く求められる立場にあり、その義務を果たすことは、被告人の指示命令を待つまでもなく、溶断・溶接作業と塗装作業の同時並行を知り得た以上容易であったというべきであるから、被告人としては造船所関係者あるいは塗装業者がそれら義務を果たすのに必要な状況を設定してやれば足り、自ら造船所関係者あるいは塗装業者に指示命令するなどして溶断・溶接作業を中止させる義務までもあったとはいえない。したがって、本件では被告人としては、××造船関係者に塗装業者のBらの塗装工事が競合して行われることを連絡して周知させるべき義務を負うにとどまるといわねばならない。

原判決は、塗装業者が造船所の改装工事と競合して塗装工事を行うことになったのは、被告人の特別の指図によるものであるとして、それを一つの根拠に被告人に対し前記中止させるべき義務を認めているようであるので、その点を検討する。前記事実関係に示したように、被告人が本件の前日塗装業者のBらに塗装工事を依頼したがため、Bらにおいて本件当日の朝塗装作業を行うに至ったものであるが、しかし、被告人の塗装業者のBらに対する塗装工事の依頼は、特に日時を限定ししかも造船所側の改装工事と重なり合っても実施することを勧めるほどの強いものでなく、工事実施の日時の選択決定は塗装業者のBらの判断に委ねた上でのものというべきであるから、塗装業者のBらが本件当日の朝塗装作業を行い、それが造船所側の溶断・溶接作業と競合することとなったのは、いまだ注文者としての被告人の特別の指図によるものとはいえず、その点から被告人に特別な義務を負わせることはできないといわねばならない。

また原判決は、被告人が本件事故当日の朝第五〇〇丸に赴き、Bらによる塗装作業が行われている際に造船所作業員らが溶断・溶接作業を開始しようとするのを現認していることをもって、被告人にそれら造船所作業員らが行う溶断・溶接作業を中止させるべき義務を課するがごとく判示するのであるが、前記のごとく被告人は注文者にとどまる者であって、それら作業員を事実上指揮監督することもなかったのであり、しかも偶々第五〇〇丸に赴き右現認をしたに過ぎないのであるから、その偶然の事情の故に被告人に特別な義務を負わせることはできないというべきである。

所論は、被告人としては塗装工事を行うことについての造船所への連絡は塗装業者において行うものと信頼していたもので、且つそう信頼することは許されたことであるので、被告人には造船所への連絡義務はなかった旨主張する。前記事実関係に示したように、なるほど家島においては塗装工事を依頼した船主が事前にその塗装工事実施の日時を造船所へ連絡することは余りなかったことは事実であるが、一方塗装業者においても造船所に事前に連絡することを励行していたものではなく、ただ塗装作業直前に現場で造船所の作業員らに申し入れをするというルーズな運用が行われていたに過ぎないものであるから、被告人において塗装業者が事前に造船所に連絡するものと信頼することが許容され、その連絡義務が免除されるものとはいまだいえない。

所論はまた、本件事故については本来工事に携わった造船所作業員ら関係者及び塗装業者がその危険回避の義務を負うものであり、被告人としてはそれらの者がその義務を果たしてくれるものと信頼していたもので、その信頼することは許されたことであるから、被告人には連絡義務をも含め本件事故回避のための義務は全くない旨主張する。なるほど本件において、溶断・溶接作業と塗装作業が同時並行して行われた段階では、造船所作業員及び塗装業者は右各作業が同時並行することを知りつつそれら作業を行っているのであるから、それらの者が本件事故発生に直接つながる作業を行う者として本件事故を回避するための措置をとるべき義務を負うものであり、その義務を怠った過失が直接本件事故発生につながっていることは明らかであるが、被告人の前記連絡義務はそれ以前の段階を対象とするもので、いまだ溶断・溶接作業と塗装作業が同時並行することを知らないそれら作業を行う当事者にその同時並行することを連絡周知させることを内容とするものであり、また溶断・溶接作業と塗装業者が同時並行して行われるときは常に必然的に右当事者がそれを知り得るものではないから、当事者が事後に知った上その危険回避の義務を履行することを信頼して、その事前に連絡すべき義務を免れ得るものではなく、またその信頼が故に予見できなかったとはいえない。

そうしてみると、原判決が被告人に関し、××造船関係者に対し塗装業者のBらによる塗装工事が競合して行われることを連絡して周知させる義務を認めた点については、これを是認できるものの、原判決が更に被告人に対し、××造船の作業員らの行う溶断・溶接作業を中止させるべき義務までも認めたのは誤りであるといわねばならない。そして、右の注意義務の内容に関する原判決の誤りは、注意義務に関し法令の解釈適用を誤ったことによるものと解さざるを得ない(なお、原判決には前に説示したように、被告人の塗装業者に対する特別の指示の有無について事実の誤認があるが、それは注意義務判断のための前提事実の一つに関するものに過ぎず、原判決が注意義務の判断を誤った主たる理由は、法令の解釈適用の誤りにあるものといえる。)。

ところで、右のごとく被告人の注意義務に関して原判決に判断の誤りがあるものの、その誤りは注意義務の内容の一部についてであり、被告人にはなお注意義務が肯定されるので、原判決の右判断の誤りが明らかに判決に影響を及ぼすものとは直ちにいえず、特に本件が、被告人において前記のとおり課せられる連絡義務を果たさなかった過失があるものの、その過失に加えて、溶断・溶接作業を直接行っていた造船所作業員及び現場監督者等造船所関係者の過失並びに塗装作業を行っていた塗装業者の過失も重畳的に存在し、同時に被告人以外の者のそれら過失がなかったならば本件事故が発生しなかった、という構造を持つ事案であるところから、被告人の注意義務に関する原判決の判断の誤りの判決に対する影響の有無は、被告人の連絡義務懈怠の過失と本件事故の発生との因果関係についてなお検討した上、これを決するのが相当であると考えられる。そこで、次に右の因果関係について検討する。

四 因果関係

思うに、ある者の先行する過失に他の者の事後の過失が加わることによって結果が発生し、しかも事後の過失が存在することによって始めて結果が発生した場合において、事後の過失が先行する過失の影響を受けることなく犯され、しかも事後の過失が結果発生を決定的に左右するものであったときには、先行する過失と結果との因果関係は否定されるべきであって、その過失を犯した者について右の結果に対する責任を問うことはできないというべきである。これを本件について見てみると、先に事実関係として認定したとおり、塗装業者のBらは本件事故発生当日の午前七時ころから本件塗装作業を開始し、本件爆発は午前八時四〇分ころ発生したものであるが、午前八時の作業開始サイレンと共に第五〇〇丸に上がって来た××造船作業員らはそれぞれ荷倉における強いシンナーの臭いに気付き、また顔見知りの右Bらが荷倉内に居ることを目撃し、荷倉下の二重底内で塗装作業が行われていることを現に知ったのであり、それが故にある者は事務所に塗装作業を中止させてくれるよう走り、ある者は二重底内での予定していた溶接作業を中止し、更に前記Fに注意を受けて溶断作業を中止したりしているのであって、作業開始から爆発が発生するまでの間には××造船作業員らはすべて塗装作業が二重底内で行われていることを十分承知しており、しかも、結果的には不十分であったとはいえ、溶断・溶接作業と塗装作業との同時進行による前記着火爆発の危険を避けるための行動さえとっている状態にあったものである。そして、それは正に被告人が事前に××造船に塗装作業が行われることを連絡したと同じ状態が現出されていたものといえる。しかして、××造船において監督的立場にある者が荷倉内での一切の溶断・溶接作業を中止させる、あるいは作業員各自が前記のように自らに課せられた義務を果たすべく荷倉内での溶断・溶接作業を中止するなど、××造船関係者において着火爆発を避けるための適切な措置を十分取り得たものといわねばならず、また、塗装業者のBらにおいても現に溶断・溶接作業が行われているのを現認しているのであるから造船所関係者と協議して危険回避の措置をとるべきであったのであり、××造船関係者や塗装業者にそのような行動をとることは一般に期待されたことであるといえる。しかるに、××造船においては、作業の最上級監督者であるA社長自身が当日朝現場に不在であった上、現場における指揮命令体制が十分に整えられておらず、現場監督の役割を果たしていた者も作業員に適切に指示して溶断・溶接作業を中止する義務を果たさず、更には個々の作業員において右溶断・溶接作業を中止すべき義務を果たさず、また、塗装業者のBらにおいても危険回避の義務を果たさなかったため、本件爆発事故が発生したものである。このように本件では、××造船関係者及び塗装業者の危険回避のための措置をとるべき義務を怠った各過失が存在したがため本件事故が発生したのであるが、それら過失が犯されるについては被告人の前記連絡義務懈怠の過失はなんら影響を及ぼしていないのであり、しかもそれら××造船関係者らの過失が本件事故発生を決定的に左右するものであったことは明らかであるから、本件事故と被告人の右過失との因果関係は否定されるべきであり、被告人について本件事故に対する過失責任を問うことはできないといわねばならない。

もっとも被告人が本件事故発生の前日に右連絡義務を果たしていたならば、造船所において塗装業者に塗装作業を中止させるあるいは溶断・溶接作業を中止するなど、溶断・溶接作業と塗装作業の同時並行による危険回避のためのより適切な措置をとることが可能ではなかったかとの疑問があることも否定できないが、被告人の連絡義務は右の前日に果たさなければならないものではなく、少なくとも造船所作業員らが溶断・溶接作業に着手するまでに果たされれば足りるものであるから、前日に連絡義務を履行しなかったことをもって過失ありといえない。のみならず、事実関係において示したような××造船での監督指示体制、本件以前の実態から窺われる××造船の現場監督者や作業員らの本件事故のような危険に対する認識の程度、更に本件事故発生当日にとられたそれら現場監督者や作業員らの態度などに照らせば、溶断・溶接作業と塗装作業が同時並行して行われることを前日知ったとしても、その同時並行による危険回避のためどの程度の措置がとられたか疑問であり、適切十分な措置が取られたとはにわかに断定できず、結局、被告人が前日まで右連絡義務を果たしていたとしても、本件爆発事故が回避できたとは直ちにいえないのである。

五  結論

以上検討したとおり、被告人には連絡義務が認められ、その義務を果たさなかった過失があるものの、原判決のいうような造船所の溶断・溶接作業を中止させるべき義務まではなく、その連絡義務に関する過失と本件事故発生との因果関係についてはこれを認めることができず、結局、被告人についてはいまだ本件事故についての過失責任を問うことができないので、被告人に対し重過失致死傷罪の成立を認めた原判決は、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈適用の誤りがあり、破棄を免れない。論旨は理由がある。

よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄するが、本件について原裁判所に差し戻し、審理を尽くさせても新たな証明を得ることはないものと考えられるので、同法四〇〇条但書により当裁判所で直ちに判決することとする。

第二  自判

本件公訴事実(訴因変更後のもの)は、「被告人は、先に兵庫県飾磨郡家島町<住所省略>××造船建設株式会社に自己の所有する砂利運搬船第五〇〇丸の二重底トップ板及び船倉内内張取替工事等を依頼していたものであるところ、更に、昭和五八年八月二八日正午ころ、同会社において、塗装工Bに対し同船二重底内部の塗装作業を依頼したが、同会社作業員が二重底トップ板等のガス溶断電気溶接作業を行っていたのであるから、これと並行して塗装作業を行えば、通気性の悪い二重底内部に塗料に含有された引火性の強いキシレンの気化ガス体が充満滞留し、溶断、溶接作業に伴い飛散する溶融鉄片または電気火花がトップ板に設けられた工事穴等から二重底内に落下して右ガス体に着火爆発することを予測し、右Bに対し溶断、溶接作業の終了を待って塗装作業を開始させるか、または同会社関係者に塗装作業を行うことを知らせて溶断、溶接作業を中止させるべき注意義務があるのにこれを怠り、右溶断、溶接作業と塗装作業を同時に行わせても爆発の危険はないものと軽信して、右Bに対し、溶断、溶接作業の行われる同月二九日、同作業の終了を待たずに前記塗装作業を行わせるにあたり、これを同会社関係者に知らせて当日の溶断、溶接作業を中止させなかった重大な過失により、同日午前八時四〇分ころ、同会社作業員I、J又はKが右トップ板等で行ったガス溶断又は電気溶接作業に伴い飛散した溶融鉄片または電気火花により、右Bの二重底内塗装作業によって発生し、同所に滞留していた前記キシレンの気化したガス体を着火爆発させ、よって前記Jを頸椎骨折、胸骨肋骨開放骨折等により即死させたほか、前記Kに対し加療約一四日間を要する頭部外傷Ⅱ型、左頭頂部打撲の傷害を、前記Bに対し加療約二一日間を要する顔面、頸部、右前腕熱傷、背腰部、左大腿、左上腕挫創等の傷害を、Dに対し加療約一五日間を要する顔面頭部火傷、左頭胸背腰大腿打撲擦過傷の傷害を、Lに対し加療約一〇日間を要する前額部、左肘部裂挫創等の傷害をそれぞれ負わせたものである。」というのであるが、先に当裁判所の判断において示したとおり、被告人には××造船に塗装業者のBらが塗装作業を行うことを連絡周知させる義務があり、被告人にそれを怠った過失があることは認められるものの、その過失と本件事故発生との間に因果関係があるものとは認められず、また、被告人に××造船作業員の行う溶断・溶接作業を中止させるべき義務まであったものとは認めることはできないので、結局、本件公訴事実については犯罪の証明がないといわざるを得ない。

よって、刑事訴訟法三三六条により被告人に対しては無罪を言い渡す。

(裁判長裁判官石松竹雄 裁判官田中明生 裁判官松浦繁)

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